演劇

シアタースコラ日誌 -その11(ラーバルマスク)-

     

どうも、りんこと吉田光です。

今回はラーバルマスクについてです。

ラーバルマスクとは


スイス発祥のマスクで、その名の通りラーバル(蛹)のような、のっぺりとしたマスクです。
こちらは以前紹介したニュートラルマスクとは違い、パフォーマンスでも使われます。

因みにラーバルはフルマスクと呼ばれるタイプのもので、一目瞭然ですが口まで覆われています。つまりマスクをつけてる時、プレイヤーは喋れません

実際にパフォーマンスで使われた映像がこちら。

これはニコライ・ゴーゴリの小説「鼻」を原作とした舞台作品です。多分このためにマスクを作ったっぽい。
因みに鼻のマスクをかぶっているのが、我らが講師・安本達也氏です。
確か以前たつやさんが「向こうの学校でマスクは褒められた」とか言ってた気がする(定かではない)。

現代日本ではちょっとなじみがないかもですが、面をかぶった舞台芸術は能など幾つかあります。

「マスクが死ぬ」

ここら辺もマスクをかぶらないと中々分からない感覚なのですが、なんだろうこの演劇の大事さがたくさん詰まっているという感じは。

ニュートラルマスクは訓練用のマスクです。
私の言葉でいうと、ニュートラルマスクは「体験する」ことに特化しているのかなと思っています。いや多分いくらでも使えるんでしょうが。

しかしこのラーバルマスクはパフォーマンスでも使われます。
なのでニュートラルマスクより、パフォーマンスを意識したクラスが行われました。

ニュートラルマスクで言われてラーバルでは言われなかったことに「マスクが死ぬ」という表現がありました。

いやごめん、言われてたかな…。あ、ニュートラルでも言われてたかも。でもラーバルほどじゃないかな。

舞台上でいるときに動き続けることということを口酸っぱく言われました。それはラーバル以外にも言われてきましたが、ラーバルは特にです。というかマスクがそうなのかな。
それは肉体的に動き続ける、ということではなく、呼吸や気持ちの変化やら、とにかくあらゆる意味で動き続けることを言われてきました。

困ったときのメモ書きで逃げる!

あーダメだきっつい(笑)
マスクについて言葉にして記事書くのほんとにキツイ(笑)

というのも「被ってやってみれば分かるよ」ということが非常に多くて、中々言語化しにくいんですよ(笑)

ただ、間違いなく舞台に立つ俳優として、大切なことがたくさん詰まっています。これは本当に。

というわけで、箇条書きのノートで逃げることにします。
ラーバルマスクのクラスで得たことというか、マスクの大事な要素というか、とにかく書きなぐって終わりにします!ごめん無理だ!もっとやらないとキツイ!

もし読者のあなたがラーバルマスクをやるというのなら、お役立てできる、かもしれんね!!

  • 行動を細分化する。見る→リーン(傾ける)→対象を取る、などというように、一つ一つの行動を細分化して、シンプルにする。一度に二度の行動を行わない
  • 複数のプレイヤーでマスクを行う際、マスクの空間の位置に注意する。
  • 複数の際、ほかのプレイヤーに空間を与えてあげる。じゃないとグループにならないし、ほかのプレイヤーがアクション出来なくなる
  • ラーバルマスクの目に気を付ける。下を向いたときに角度の範囲が、マスクの構造によって異なる
  • 常に自分が動けるように、しゃがみこまないようにする。しゃがみこんだらDeadend(行き詰まり)、そこからどこにも行けなくなる。
  • 動き続ける。肉体的にも内面的にも。
  • クロッキング!(いや本来ならね、このクロッキングで一つの記事が出来上がるはずなのに書けねぇ。非力な私を許してくれ)
  • 自分の体はどこで押しているのか/押されているのか、引いているのか/引っ張られているのか
  • マスクをかぶった状態で、体でキャラクターの内面を表現する(決してチープにならない)。トランジション。

因みに、今期のラーバルマスクは5日ありました。1日4時間なので、20時間体験したことになります。
底が知れないということで終わりましたが、もっとやりたいです。これは私だけでないはず。

非力な私を許してくれ