演劇

シアタースコラ日誌 -その6(シアターカフェ①:俳優が自主的に作品を創作する)-

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どうも、りんです。

書けると思った時に書くのがブログというものです。なので動けるうちにシアタースコラ日誌を書きます。

というわけで今回はシアタースコラのクラス、とはちょっと違う「シアターカフェ」について。

シアターカフェとは

シアタースコラにおけるシアターカフェとは、月末に行われる受講者(俳優)で創作した作品を内部発表会です。一昨日記事にあげた「ディバイジング」で創作します。「俳優が自主的に作品を創作する」ということはルコックの学校でも用いられていたようです。

月1開催なので、今期の3ヶ月クラスだと全3回行われます。現時点ですでに2回終えました。

シアターカフェのテーマは事前にテーマとルールが出されて、それに沿った内容の作品を創っていきます。と、ここまではディバイジングと変わりませんね。二つとも作品を創っていくので、実践という意味では変わりません。

ディバイジングのクラスとシアターカフェの何が違うかというと、シアターカフェはクラスではないということです。

どういうことかというと、講師のたつやさんは創作中ディレクション(演出)をするわけでも、なんなら立ち会いもしません。ディバイジングのクラスでは創作中の俳優達にアドバイスを含めて何にも発言はせずに、ただ黙って見守る…こともあんまりしないか…。邪魔にならないように別の仕事していますね。とはいえクラスであるなら、絶対にたつやさんはクラス会場にいます。

ただシアターカフェの準備中、たつやさんは会場内にいることもしません。つまり講師が存在しない状況下で、俳優のみで創作を行います。ほら、クラスではないでしょう?

あくまで「俳優が自主的に作品を創作する」ものになります。なのでこのシアターカフェは参加しなくても構いません。
ディバイジングは「そういうクラスだから作品を創る」という前提がありますが、シアターカフェはその前提がありません。

シアタースコラの前提

そもそもシアタースコラの前提として、「無理してクラスに参加しなくてもいい」というものがあります。

これは全クラスとこのシアターカフェも共通しています。
いついかなる時も、自分の判断でクラスを休んでもいい。更に言うとクラス内のワークも参加しなくてもいい。俳優の心身を守るルールづけがされています。自己責任ではありますが。

事実、身体の調子が悪くて(痛んだり動かなかったりして)ワーク中スッと輪から外れていたりしても、基本的に何も言われません。後から心配されますけども。

ちゃんと選択できる余地があります。強要はありません。参加しないからこそ輪から外れるということもありませんし、受講生も出席率が悪いからと言って外すということはしていません。そういう空気があります。

責任を負うからこそ得るものが大きい

やはり俳優とは自身にのしかかっている責任と真剣に向き合った時に大きく成長できるもんだなと思いましたね。
作品創作に、参加する/しないの選択できる余地があるということは、どちらを選択しても俳優は責任を負う事になります。

作品創作に参加するということは自分の体力やら精力やら色々と削れることにはなるが、その分大きな経験を得ることができる。
参加しないのであれば自身の安全は保たれるが、経験は得られない。

どちらの選択にもメリット/デメリットが存在します。これはシアタースコラ以外にも言える、というか人生における全ての選択に言えますけど。

あ、とはいえですよ?「自己責任」という便利な言葉を振り翳して、他人の選択を結果的に奪うような状況や環境は、私は大嫌いです。ただ、自分が下した決断/選択で、この先自分がどうなりうるかというのをメリット/デメリット両方の視点からシミュレートした上で比較して、その上で決断するということはしたほうがいいと思います。

自分の下した決断に伴う責任は自分で負った方が、その後の自分の背筋が伸びます。
逆に決断せざるを得ないというか、「人がこういうからこうした」という言われるがままにという態度だと成長度合いは短いと思っています。なので選択の余地がある環境を、私は選んでいます。スコラはそんな環境です。

シアターカフェの話はまたいずれします。

それでは。

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