だいぶ経っちゃいましたが、劇団しおむすび「しおふぇす2019春」が無事終演となりました。お越しいただいた方々、誠にありがとうございました。
「劇団しおむすび」は私がかつて所属していた劇団です。つまり、古巣です。2011年の立ち上げから2017年秋まで私は所属していました。
私の、芝居・デザイン・システム・スキーム作成、あらゆる面でのキャリアの始まりです。今回はそんな私の愛すべき古巣について書いていこうかと思います。
因みに2015年までに入団した者は「1期生」と呼ばれます。それ以降は時期ごとに「2期生」「3期生」と続いていきます。私は立ち上げからいたので、1期生になります。このブログで度々出ている坂山煕も、同じ1期生です。
劇団しおむすび
劇団しおむすびは2011年9月に、学習院大学の演劇部を母体として立ち上げられました。主宰は私の大学の先輩でもあり、芝居の師匠の一人、忍翔(おしょう)です。あ、本名ではなく、彼の芸名です(笑)
彼が立ち上げると演劇部のメーリスで宣言し、それに乗った私たちが2011年9月に行った即興演劇、インプロ公演が始まりです。
こう書くと「栄光のスタート!」みたいな感じに見えますけども、そんな生易しいもんじゃなかったです。忍翔のブログにも書いてありましたが、最初は本当に借金まみれでした。
当時の演劇部は、部員が外部に出ることに対してあまりいい顔をしませんでした。当時ですよ?今は知りません。
忍翔も「知るか馬鹿!」と言わんばかりに突っ走っていたので、「しおむすびにいる」というだけで部内でちょっと肩身の狭い思いをする時もありました。
あと、やっぱりまだ若かったしインプロやりたてのこともあって、まだ作り出すショーも納得がいかないものばかりでした。「自分たちだけで盛り上がっている」と揶揄されたこともあります。
そんな感じで負債ばっかり溜まっていったのですが、それにおつりがくるぐらいに、叫び出すほどに楽しかった。
いろいろなことをしました。
インプロの「い」も知らない人たちが突如として「インプロショー」をやったり、
お好み焼き屋で飲みながら決まった舞台公演が、私の財産となるぐらいに素晴らしい公演になったり、
公演のために秩父に行って演劇合宿したり、
飽きもせずカラオケに行ったり、
オールしようとしても夜に弱いから途中で爆睡してため息つかれたり、
腹が砕けるほどに笑いましたし、顔が破けるほどに泣きました。
冗談抜きで生まれ変わったと思っています。これから歩む道に「まぁ、俺だったら大丈夫だろ」と根拠のない自信が湧くのは、ここでの経験が非常に大きいです。
全身全霊で「最強」にしようと思った団体
大学卒業後、私はこの団体に身を置いていました。ほとんどの1期生は大学卒業を機にしおむすびも卒業した(というか忍翔にさせられた)のですが、私は忍翔から「残ってくれ」と言われ残留しました。
さて、大学を卒業した後の私は「このしおむすびを最強にしてやる」と思っていました。今までの借金と取り返すぐらいにすごい団体にしてやろうと誓っていました。
そこで色々と勝手にやり始めたのです。やれデザインだとか、やれWebだとか、やれ動画だとか。
当時は新規でお客さんが来なかったので、「しおむすびをどうやって売り出すか」みたいなことをすごく考えましたね。
まぁ、結果としてから回ってばっかりであんまり呼べてなかったというね(笑)
原因はまぁ、「俺がなんとかしてやる!!」ってスタンスだったからでしょう。劇団というチームで動いている以上、やっぱりチームワークが一番大事なんですよ。
「俺がこんなに頑張ってるのに!!」と息巻いても、結局周りを煽情させられるようじゃないと、物事って動かないんです。
今振り返ったら当時の私はいわゆる、「めんどくさい意識高い系」に属する人間でしたね。今もそうですけども、当時はもっとめんどくさかったと思います。そんなんでも、劇団内の人間関係的にはそこまで悪くならなかったのは、この劇団しおむすびの懐の大きさというべきでしょう。
当時の私は、「劇団しおむすびを最強にしたい」「今度こそ誰にも文句を言わせない団体にしたい」と、その一心で動いていました。
動いている中でこんな動画も作りました。劇団しおむすびの舞台演劇公演の鴻上尚史 作「ベター・ハーフ」、そのPVです(当時は「喜田光一(きだこういち)」と名乗っていました)。出演者に協力してもらって撮影をし、私と弟で編集をしました。ただ…なんかコレ2000回再生されてるんですよね(笑)
完全に鴻上さんのソレに乗っかっちゃった結果、こんなに伸びてしまいました(笑)
ぶっちゃけいうと、3年経った今でも鴻上さんから怒られないかなとひやひやしてます(笑)
もうここでやることねぇや
そんなこんなで2017年になり、吉田光にとって激動の時間が訪れます。いやホント、冗談抜きで人生の転機が複数やってきます。
2016年は劇団外でから回りすぎた結果、数十万の借金を背負うことになってしまいました(これについては別の機会に)。あ、あれですよ、劇団外なので劇団にはなんの迷惑もかけてないです。勝手に自分で背負っちゃっただけです。
しかも、春には親が兵庫に移り住むことになったので、必然的に実家から出なくてはならなかったのです。いやぁこれは絶望的ですよ。正直劇団どころじゃねえや、みたいな。
当時働いてたバイト先では決して贖いきれなかったので必死に仕事先を探した結果、今の職場に落ち着いた、というか社長が私を拾ってもらい、なんとか独り暮らしができる目途が立ったのです(今でもマジで頭が上がりません)。これについてはまたの機会でお話しします。
そして。お芝居の技術的にも今のままじゃだめだと思い、とある演技スタジオに通うようになりました。因みにこれも人生の転機。別の機会にお話しします。
因みにそんな最中でもしおむすびも激動でしてね。インプロ公演企画で、本番2週間前に舞台監督が後退せざるを得ない状況になり、私がピンチヒッターで関わることに。
なんとか無事に公演が終了したのですが、「スタッフ育てないと死ぬな。俺が」と思い、後輩を育てることにしました。それが4期生の三人娘です。
この4期生がまぁーいい子たちで、私のノウハウをみるみるうちに吸収してくれました。今までしおむすびのスタッフに関わって、怖くて出演者じゃないのに稽古に顔を出して「大丈夫かな~」ってしてたのが、「あぁ、こりゃ大丈夫だな」という気にさせてくれて、1週間ほど台湾に遠征で行ってしまうぐらいに安心したのです。結果的に、6月のインプロ公演は彼女たちの活躍で無事終演となりました。一番楽していたといえるでしょう。
同年秋に劇団主催の大きいインプロ企画が動いていた中で、最初は私はスタッフとしてかかわる予定でした。ですがなんと、企画が動いてから2週間が経つと、「あれ、俺、邪魔じゃね?」と思うようになったのです。別に私がしゃしゃり出なくても、円滑に回ることに気が付きました。
そこで「あぁ、俺、もう劇団しおむすびでやることねえや」と私は思い知りました。
インプロで頂点目指そうという気も正直失せていて、俳優として身を立てていきたいと思うと外に出た方が絶対いいと思っていたので、しおむすびにできる貢献はスタッフだなと思っていた矢先にこれでした。
つまり、私はもう「劇団しおむすび」にいる必要がない、ということ。ちょっぴり悲しかったけど、それよりも嬉しさが勝りました。「もう俺は羽ばたいていけるんだ」と思えたのです。
その時の心境は、しおむすびのブログにしたためていました。
そして、企画が終わって、私はしおむすびを卒業しました。因みにここでもしおむすびブログにしたためていました(笑)
そしてしおむすびを卒業しまして、翌年1月にいろいろあって演技スタジオも辞めてしまい、本格的に一人になりました。そこからHSPに出会い、The All Mighnorityが設立されて今に至ります。
忍翔の卒業
「しおふぇす2019春」を最後に、設立者である忍翔が、劇団しおむすびの運営から完全に離れることとなりました。
これはものすごいことですよ。秋元康が完全にAKBを撤退するようなもんです。忍翔あってのしおむすび、みたいなところじゃなくなるということなのです。
なんて書く私はというと、まあ、あんまり驚きませんでした(笑)
ぶっちゃけそろそろだろうなと思っていたので(笑)
そこでの彼の胸中は彼のブログにて綴られています。そしたらびっくり、私とほぼおんなじこと書いてあるじゃないですか。「僕の仕事はなくなった」とかなんとか。
いやぁ良かったなあと、素直に思いました。彼もやり遂げたんだと。心の底から祝福しました。
しおふぇす2019春の打ち上げに参加すると、待ってたかのように涙がボロボロ出てきてしょうがなかったのです。ここに関わった人全員が笑顔になっていて、「劇団しおむすびに関わってよかったです」という言葉を聞くたびに、もうだめでしたね(笑)
枯れ果てるほどに泣きました(笑)
そしたらLINEグループのアルバムにて、がっつり泣いてる写真が残りやがってですね(笑)
恥ずかしいのなんの(笑)
どうやら、「最強にする!」と息巻いてた私の目標は、私の手から離れてからいつの間にか達成していたようです。なんてこった奇蹟かよ(笑)
因みに忍翔には「さっさと海外に行ってください」と伝えました。日本じゃあもう、彼には狭いなと思っていたので。そしたら彼は今年中に日本を出て世界を回る宣言をしやがりました(笑)
行け行け!さっさと行ってしまえ(笑)
長くなりましたが…
さて、自分語りになると長くなる悪い癖は昔から変わってなさそうです。
私は劇団しおむすびを去ってからこのThe All Mighnorityをたちあげて独立しました。なんとかやっていけてるのは、間違いなくこのしおむすびのおかげです。ここで悩み苦しみ、そして思いっきり楽しんだ思い出を無くして、吉田光を語ることはできません。
そして劇団しおむすびも、忍翔の手から離れて誰も知らない未知の方向性に進もうとしています。まさに、台本のない即興演劇・インプロのように。
私は所詮過去の人なので、今のしおむすびを見守る事しかできません。今いる人が未来を創っていくのだと思っているので。まあ間接的にかかわる気がしますけどね(笑)
そんな大航海をする彼らに、祝福あれ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。