演劇

KUROGOKU「MOON」を終えて

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どうも、りんこと吉田光です。

時が経つのも早いもので、KUROGOKU「MOON」が終えてから1週間以上が経とうとしています。

Xでも言いましたが、改めまして。

この度はMOONにご来場された方々、ご来場できなかった方々含めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

素晴らしいキャストに恵まれた舞台

SNSでも言ったんですが、素晴らしいキャストに恵まれた良い機会だったと思っています。
どの人も素晴らしくて、地盤が硬く安心して演れたと思っています。

※以下に掲載している画像は全て野村尊司さんが撮影されたものです。

夫役の楽さんとは一番話しました。芝居についてやお互いの趣味についても共通項がとても多くて、一緒に遊ぶのも楽しくて仕方がありませんでした。もっと遊びたい(笑)

妻役のあやさんはとても頑張り屋かつとても器用な方です。そして可愛い(だいじ)。そりゃ制作の仕事が途切れませんわ。創作の過程でとても悩んだりもしていましたが、最終的にはなんとかしたあたり流石の一言。本当にお疲れ様でした。

ララ役のゆなっちは年が近く、かつ演じるキャラ的にも恋人役というのもあり、バディ感が強かったです。あの髪型にしたのは演出ではなく自分のアイディアでやったというあたり、クリエイティビティが半端ないのがお分かりかと(この髪型はめっちゃ評判良かった)。
因みにこの方、映画のプロデューサーもやっており、集中稽古が終わった翌日に那須に行って、自分がプロデュースした映画がなんと準グランプリに輝くという快挙を成し遂げました。本人曰く「チームが良かった」とのこと。この子は大物になるで。

母役の礼子さんはマジで上手い。演技が上手いとはこのことかと思わされる。楽さんも「礼子さんと演じると自分がめっちゃ上手くなった気がする」っておっしゃっていました。芝居に無駄がないのに魅力をその瞬間の飽和量を超えることなく発揮できるのがやばい。とても素晴らしい女優です。そんなすごいのにめっちゃお茶目なんですよこのお方、可愛いんですわ。

ジジとズズ役のあやのさんと野田さん。
野田さんは実は2度目の共演。しかも同じKUROGOKUにて。めっちゃ嬉しかった。このお方も上手いんですわ、さり気なさができる女優さんは貴重。以前民藝さんの公演を観させていただいたとき、コロスの中でも一番さり気なくができていると感じたお方でした。
そして野田さんとセットだったあやのさん。この方クリエイティビティがあふれすぎていて、多分なんでもできるんだろうなぁと。興味を持つ幅がとても広く、しかもその多くが私にはないものだと思われるので、もっと話してみたい。

男役のヒデさん。すごく作品に関して考えている方で、自分の役と深く向き合っていた非常に生真面目なお方でした。演技の一つ一つに自身のこだわりが見える、技術のある方だと思います。一度稽古の中で迷走されたこともありましたが、それも無事乗り越えて男像を確立したのは偉業だと思います。芝居の中で妻役のあやさんがときめいた告白をしたのも、キャスト陣では語り草。

部長役の金谷さんは演じたキャラとは全く対照的でめっちゃいい人でした。ご高齢ではあったんですが偉ぶることは一切ない、朗らかに話しかけてくれる良いお方です。この方も礼子さんに負けず劣らずお茶目な人で、かわいらしい方です。出番はそこまで多くはなかったのですが、スタッフ方面でもバリバリ働いてらっしゃって(もともとスタッフ側だったとのこと)、頼りがいのある大人の人でした。

勿論スタッフの方々にもお世話になりました。舞台を支えてくださった方々には感謝しかありません。特に舞台監督と舞台美術両方担当された司さん、マジで舞台美術が素敵。美術案見たときはウッキウキでした。

そしてそれらの人々を繋いだ主宰の黒柳さん。お世話になりました。慣れない演出のお仕事で大変だったかとは思いますが、やり切った感じがありましたね。自分の作りたい作品をなんとしてでも作るという硬い意思は見習わければならない、と思わされました。

如月小春作品について

今回初めて如月小春作品に挑みました。個人的には本当に挑みがいのある世界でした。マジで面白い。超好き。楽しくて仕方がなかったですね。

「MOON」は風刺のきき方がオシャレでユーモアもあり、それでいて深みがある良い戯曲だったと思います。因みについこの間同氏の代表作「DOLL」に友人の小川結子ちゃんが出ていたのを観たんですが、これも面白い。

座組一同全力で挑みはしたんですが、個人的には「MOON」という作品の深淵の底には触れてない感じがしました。とはいえ我々が全力で創り上げた作品は無駄ではなく、何かが表現できたのではないかと思っています。

現代社会の都市にある人の営みの中で、どうしようもなく生まれる矛盾した思いや行動。何やら自分とは全く異なる巨大な意思が働いているような感覚。それに伴い人の心に生まれる虚。それらを幻想的に描いた、本当に見事な戯曲です。

これは「MOON」の稽古中に、そして「DOLL」を観てる時にも思ったことなんですが、1980年代に書かれた戯曲なのに2020年代に生きる我々の心をつかんで離さないのか、それが不思議でしょうがなかったです。「DOLL」に至っては40年前とかなのに、なんでこんなに共感できることが沢山あるのか。
1980年代なんてバブルがまだはじけてない好景気な時代でイケイケだったはずです(私まだ生まれてないから肌で感じてないけど)。今と比べたら異世界みたいなものだと思っていましたが、結局のところ今とそこまで人のメンタリティーは変わってないというのを痛感しまして、なんだろうこう…ある種の無常さを感じていました。

如月小春が1989年に書かれた「東京ガール」というエッセイには、割と唐突に「WHY’S STORY 2001」という短編小説が掲載されます。当時からして未来の2001年を生きる「ホワイト」と名付けられた犬の視点から綴られた一人称小説なんですが、ノストラダムスを乗り越えてもなお人は変わらない生活を送っている様を描いています(ここでも”白”が登場する)。因みに如月氏は2000年で急逝されるのですが…。

結局日本というのは、都市が出来上がってから大して変わってなく、これからも大して変わらない生活を送るのだろうと思いました。それも含めて人というのは面白いと思います。

改めまして感謝を

改めまして、ご来場された方々、できなかった方々含めまして感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

今後も俳優活動は続けていきます。売れる売れないの問題もありますが(笑)、それでも自立した大人として、そして表現者・プレイヤーとしてあり続けるためにも、懸命にこの都市の中でもがいてみる所存です。

今後とも何卒、よろしくお願い致します。

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