演劇

シアタースコラ日誌 -その7(Journey①:俳優は創作の責任を負っているのか)-

     

どうも、りんこと吉田光です。

さて、もうじゃんじゃん投稿していきましょう(笑)
もう書けるうちに!そらもうね!!

さてこの”Journeyシリーズ”はいわゆる「雑記」です。シアタースコラを通じて思った雑記です。

というわけで早速、「俳優は作品を創るべき」ということから。

俳優と作品創作

今回のシアタースコラ3カ月クラスでは「ディバイジング」のクラスがあります。ざっくりいうと俳優がみんなで作品を創ることです(詳しくはこちら)。

私が「ディバイジング」を経験して思ったことは色々とあるのですが、その一つに「そもそも俳優が作品創作の責任を負ってる感じはあんまりないよな」ってことです。

いや勿論、稽古期間で俳優の演技でシナリオが変わったり演出が変わったりすることもあるので、俳優が作品の創作に関わっていないというわけではありません。とはいえ、その責任を負うのはたいてい演出家や脚本家です。

俳優として舞台作品に関わる際、本番に差し掛かった時に演出家が「好きにやってください。責任は私が負います」みたいなことを言ってくれることがあります。
正直かなり嬉しいですし、頼もしい言葉です。その言葉の裏には「縮こまってないで思いっきりやってこい!」という激励だったり「頼むからうまくいってくれ」みたいな懇願だったりと、演出家のいろんな思いが込められています。私この言葉は好きですし、そう言ってくれた演出家は忘れません。

なんですけども、言われると同時に寂しさを覚えてしまいます。
俺たちはその責任を負えないのか、と思うこともあります。

いやそれが悪いって言ってるわけじゃないのよ?過去そう言ってくれた演出家を否定したいんじゃないんです。

でも、寂しさを覚えたこともあったというか、「俳優が作品を創る」という責任を負えないのかな、みたいな。なんだろう、ハブにされたみたいな気がするんですよね。

その責任は果たして平等にかかっているのか?

もちろん、「俳優が作品創作の責任を全く担っていない」と断言するのは早計でしょう。言い過ぎです。

同じ脚本・同じ演出家でも、出演する俳優が異なれば稽古も変わりますし、当然出来上がる舞台演劇も変わります。本番までの過程、その全てが創作期間と言えるでしょう。

ただ、脚本・演出は?
「それは俳優の役割ではない」という意見もあります。確かに、そういえるかもしれません。中には「全体を見越した上で自分の演技(表現)を考えているので、俳優が演出の一部を担う時もある」という意見もあります。そこは否定しませんし、私も「俳優は演出も考えるべき」という意見には賛成です。

ただ演出に関して、最終的にその責任を負うのは演出家であることが多い(まぁ当たり前ですが)。

更に、俳優は脚本の責任を負いにくい立場にある

ここら辺はセンシティブな話ですが、「俳優は脚本に口出ししてはならない」みたいな暗黙の了解があります。「俳優が脚本の意図を汲む努力を怠る」ことに繋がりかねないので、あんまり言うべきことではないのです。私も、脚本に文句を言うことは基本的にありませんし、これ自体には不満がありません。

ダラダラと言いましたが、私が何が言いたいかって言うとですね、俳優が脚本・演出の部分に関して責任を負わない状況に慣れてしまうのは違うのではないかということです。というのも舞台において脚本・演出が創作の大部分を担っているのは否定できない事実なのです。だけど俳優はその責任を負いにくい立場になる。責任の比重が、俳優と演出家・脚本家の二つで考えると平等ではないことが非常に多い。

となると自然にトップダウン構図に落ち着いてしまいがちになります。
「俺が本書いているんだ」
「俺が演出をしているんだ」
という意識が、脚本家・演出家に生まれやすい環境にあるのです。ピラミッド構造になりやすくなるのです。

結果的に、我々俳優は暴力を振るわれやすくなってしまいます。昨今ハラスメントで渦巻いている演劇業界、強いては芸能界。痛感している方もいらっしゃるのでしょうか?

俳優の作品創作とは何か

私がシアタースコラに通ってよかったことの一つに、「俳優ならではの作品創作の経験ができる」というのがあります。

俳優が脚本を書く・俳優が演出をする、となるとそれはもう俳優ではないのです笑
いやここら辺、説明するの難しいんですけども笑
脚本を書いたら脚本家になるし、演出をしたら演出家になるんです。それはもう俳優ではない、俳優兼何某みたいなことになる。

シアタースコラの掲げている「新しい舞台表現をクリエイトする人材を育成する」というコンセプト。
私たち受講生は、アーティストとしての感性を伸ばしています。作品創作のために「ディバイジング」という考え方を取り入れてはいますけども、ディバイジング自体に創作のためのノウハウはありません。あくまで考え方なので。
なので我々は、自分で発見し、発見したものを膨らませて、新しい作品を創造する。脚本を書いて、演出してという、既存のフレームワークに囚われずに創作しています。

そんな学校、多分ここしかないんじゃないかしら。
我々俳優が作品創作の責任を負うことで、脚本家・演出家と同じステージに立てるようになる。これはこれからの演劇界に必要なことだと思っています。

まぁ長々と書いてしまいましたが、そんな感じです。
それではまた。